降って湧いたドバイ観光 7月7日
二重の時差と乗り継ぎトラブルとで思考が麻痺している上に、
やけ食いで腹の皮は突っ張り、リッチでふわふわな部屋の快適なベッドで爆睡した。
今思い出しても、あのドバイが現実なのか夢なのか定かではない。
あの砂漠の中に突然ニョキニョキと乱立するビル群はいったいなんだったのだろう。
モウロウとホテルロビーをふらふらしていると、ホテルがアレンジしているドバイ半日ツアーがあると言う。
今からでも間に合う。一人30$。これは買い。
マイクロバスにホテルの宿泊客十数人とガイドが乗り込んで、オイルマネーの街ドバイへいざ出発した。
客のほとんどがやむなく1泊した連中のようだ。
中には上海からきたグループもいる。
この車内でもやみくもにしゃべり、食いまくっている。中国人のパワーは相変わらず凄い。
このドバイ、一昔まえまでは、砂漠のはずれの田舎漁村だった。
今ではすっかり中東の近代化を一手に背負っていいる様だ。オイルマネーの有効活用だ。
石油もいつか枯渇する。その前にオイルマネーを使っての「村起こし」という戦略のようだ。
経済上の石油依存率も70年代から半分以下になり、GDPは30倍になったという。
僅か30余年ほどで、貿易、商業の一大中心地と成り上がったメガポリス。
特にここ10年余りの発展は無茶苦茶すさまじいようだ。
今では世界中のクレーンの半数以上が集まっている(ガイド談)と言われるほどの建設ラッシュだ。
それぞれ、勝手きままで自己主張しているスタイルのビルが雨後の竹の子の様に乱立している。

人口120万の大都市となったが、しかしその8割以上が外国人。
物価が上昇しすぎて、元来の一般住人は周辺地域へ追い出されてしまったらしい。
まさに、国栄えて山河無し、国民難民化の異様な発展。
あの有名なヤシの木をかたどった人口島や7つ星ホテルもはその象徴。
それに市内にはドームのスキー場まであるというから驚きだ。

確かに、アラブの7部族の長が経済を握るまさに「アラブ首長国連邦」だ。
イスラムの教えより、経済発展を望み、石油の将来性に限界を感じて、
今の内にその莫大なオイルマネーで「中東の金融センター」「世界の金持ちリゾート」をもめざしている。
そのダイナミックな指導力とある意味先見性は卓越している。
でも、どこか天に唾する現代のバベルの塔都市といった感もある。
ともかく、四半世紀後はどうなっているのだろうか。
興味津々でもある。
ツアーはその後、博物館、スパイスマーケット、王様の庭園などを巡り、船でのクルージング、最後はお決まりの宝石店でのショッピングで締めくくられた。


気が付けばもうすっかり真っ暗、思いの外充実したツアーであった。
これでもうドバイは「見た」
モロッコとの格差がでかいせいか、ドバイは衝撃的だった。
でももう結構、腹一杯、二度と来ないだろうなぁ〜。
ドバイ発名古屋行きの便は残念ながら予定通りフライトした。
1泊2日のドバイ観光付きモロッコへっぽこ旅は無事終わりを迎える事が出来た。
やけ食いで腹の皮は突っ張り、リッチでふわふわな部屋の快適なベッドで爆睡した。
今思い出しても、あのドバイが現実なのか夢なのか定かではない。
あの砂漠の中に突然ニョキニョキと乱立するビル群はいったいなんだったのだろう。
モウロウとホテルロビーをふらふらしていると、ホテルがアレンジしているドバイ半日ツアーがあると言う。
今からでも間に合う。一人30$。これは買い。
マイクロバスにホテルの宿泊客十数人とガイドが乗り込んで、オイルマネーの街ドバイへいざ出発した。
客のほとんどがやむなく1泊した連中のようだ。
中には上海からきたグループもいる。
この車内でもやみくもにしゃべり、食いまくっている。中国人のパワーは相変わらず凄い。
このドバイ、一昔まえまでは、砂漠のはずれの田舎漁村だった。
今ではすっかり中東の近代化を一手に背負っていいる様だ。オイルマネーの有効活用だ。
石油もいつか枯渇する。その前にオイルマネーを使っての「村起こし」という戦略のようだ。
経済上の石油依存率も70年代から半分以下になり、GDPは30倍になったという。
僅か30余年ほどで、貿易、商業の一大中心地と成り上がったメガポリス。
特にここ10年余りの発展は無茶苦茶すさまじいようだ。
今では世界中のクレーンの半数以上が集まっている(ガイド談)と言われるほどの建設ラッシュだ。
それぞれ、勝手きままで自己主張しているスタイルのビルが雨後の竹の子の様に乱立している。

人口120万の大都市となったが、しかしその8割以上が外国人。
物価が上昇しすぎて、元来の一般住人は周辺地域へ追い出されてしまったらしい。
まさに、国栄えて山河無し、国民難民化の異様な発展。
あの有名なヤシの木をかたどった人口島や7つ星ホテルもはその象徴。
それに市内にはドームのスキー場まであるというから驚きだ。

確かに、アラブの7部族の長が経済を握るまさに「アラブ首長国連邦」だ。
イスラムの教えより、経済発展を望み、石油の将来性に限界を感じて、
今の内にその莫大なオイルマネーで「中東の金融センター」「世界の金持ちリゾート」をもめざしている。
そのダイナミックな指導力とある意味先見性は卓越している。
でも、どこか天に唾する現代のバベルの塔都市といった感もある。
ともかく、四半世紀後はどうなっているのだろうか。
興味津々でもある。
ツアーはその後、博物館、スパイスマーケット、王様の庭園などを巡り、船でのクルージング、最後はお決まりの宝石店でのショッピングで締めくくられた。


気が付けばもうすっかり真っ暗、思いの外充実したツアーであった。
これでもうドバイは「見た」
モロッコとの格差がでかいせいか、ドバイは衝撃的だった。
でももう結構、腹一杯、二度と来ないだろうなぁ〜。
ドバイ発名古屋行きの便は残念ながら予定通りフライトした。
1泊2日のドバイ観光付きモロッコへっぽこ旅は無事終わりを迎える事が出来た。
カサブランカからドバイへ 7月6日
カサブランカから名古屋へ向かった。
エミレーツ航空利用なので、中東のアラブ首長国連邦・ドバイで乗り継ぎとなる。
機材の都合で出発が1時間程度遅れた。
ドバイの乗継ぎ時間はもともと1時間40分。
MCTにはちょっと足りないが、まあ40分あればなんとかなるだろうと思っていた。
なんとかなるだろう・・。
ドバイ空港には深夜2時に到着。そのまま1時間遅れだ。
急いで機外に出た。
乗継ぎ時間がヤバイと機を出たところで、
航空会社の地上職員が待機していて、乗継ぎ便まで案内してくれることも多い。
思った通り、飛行機を降りたところで職員が声高に名古屋行きの便名を叫んでいた。
乗継ぎ便まで先導してくれそうだ。
そう思って近寄っていくと
彼は非情にも、
「もう乗継ぎには間に合わないから、翌日の便にしてくれ。」
そういって乗継ぎカウンターへ案内した。
日本人は我々2名と青年1名、女性2人グループの計5名。
後は、外国人数名だ。
ただ、このエミレーツ航空はドバイ乗継ぎでヨーロッパとアジアを結ぶルートとして利用客も多いので、乗り継ぎ出来なかった客は多い。
中国系、アジア系、インド系、欧豪系などで乗り継ぎカウンターはごったがえしていた。
こうなったら、あきらめるしかない。
覚悟を決めて、列に並ぶ。
ホテルでの1泊と食事3食分は航空会社持ちで、丸々1日後の便を何とか確保した。
ドバイといえば、オイルマネーで観光誘致をしていて、
超弩級のホテルなんかを建てている。
どうせならそのホテルがいい。
テレビで見た海岸に立っている船の帆のような7つ星ホテル(?!)「バージュ・アル・アラブ」に泊めさせてくれって言うやけくそな余裕も生まれた。
もちろんそれは冷たく却下。
「決められた契約ホテルです。」
ホテル送迎バスでホテルに向かい、チェックイン。
ドバイ時間で朝方の6時過ぎだった。
空港に着いてから4時間以上が経っていた。
カサブランカで預けた荷物は手元にない。
手荷物だけの状態でドバイで丸一日過ごすことになった。

空港近くのホテルだったが、今回の旅で一番立派なホテルだった。
やけくそで、ブッフェスタイルのレストランで3食食べ放題、クーポン使い放題。
エミレーツ航空利用なので、中東のアラブ首長国連邦・ドバイで乗り継ぎとなる。
機材の都合で出発が1時間程度遅れた。
ドバイの乗継ぎ時間はもともと1時間40分。
MCTにはちょっと足りないが、まあ40分あればなんとかなるだろうと思っていた。
なんとかなるだろう・・。
ドバイ空港には深夜2時に到着。そのまま1時間遅れだ。
急いで機外に出た。
乗継ぎ時間がヤバイと機を出たところで、
航空会社の地上職員が待機していて、乗継ぎ便まで案内してくれることも多い。
思った通り、飛行機を降りたところで職員が声高に名古屋行きの便名を叫んでいた。
乗継ぎ便まで先導してくれそうだ。
そう思って近寄っていくと
彼は非情にも、
「もう乗継ぎには間に合わないから、翌日の便にしてくれ。」
そういって乗継ぎカウンターへ案内した。
日本人は我々2名と青年1名、女性2人グループの計5名。
後は、外国人数名だ。
ただ、このエミレーツ航空はドバイ乗継ぎでヨーロッパとアジアを結ぶルートとして利用客も多いので、乗り継ぎ出来なかった客は多い。
中国系、アジア系、インド系、欧豪系などで乗り継ぎカウンターはごったがえしていた。
こうなったら、あきらめるしかない。
覚悟を決めて、列に並ぶ。
ホテルでの1泊と食事3食分は航空会社持ちで、丸々1日後の便を何とか確保した。
ドバイといえば、オイルマネーで観光誘致をしていて、
超弩級のホテルなんかを建てている。
どうせならそのホテルがいい。
テレビで見た海岸に立っている船の帆のような7つ星ホテル(?!)「バージュ・アル・アラブ」に泊めさせてくれって言うやけくそな余裕も生まれた。
もちろんそれは冷たく却下。
「決められた契約ホテルです。」
ホテル送迎バスでホテルに向かい、チェックイン。
ドバイ時間で朝方の6時過ぎだった。
空港に着いてから4時間以上が経っていた。
カサブランカで預けた荷物は手元にない。
手荷物だけの状態でドバイで丸一日過ごすことになった。

空港近くのホテルだったが、今回の旅で一番立派なホテルだった。
やけくそで、ブッフェスタイルのレストランで3食食べ放題、クーポン使い放題。
ラバト その2
昼食後ウダイヤのカスバに向かう。
規模の小さいメディナを抜ける。
カサブランカのメディナも小振りだったが、やたら、店の売り子が声をかけてきた。
見たくてもうっとしい感が先に立って、残念ながら素通りばっかだった。
それに引き替えここは生活感がある。
我々に石鹸が切れていたことを思い出させた。
小さな店で小さな石鹸を2ヶ買った。
そんな事が普通に出来ることがけっこううれしい。
メディナを通り抜けると目の前は墓地。ズーと見渡す限り海岸まで墓地が続いている。
その向こうに大西洋が青く広がっていた。

そこから10分、カスバを囲む城壁のウダイヤ門にたどり着いた。
うさん臭いおやっさんが出てきて
「博物館は、今の時間はやってない。もっと良いところへ案内してやる」
と言い寄って来た。
あるガイドブックにこの門あたりにニセガイドがいると書いてあった。
その通りにニセガイドが出てくるなんて、そのガイドブックも大したものだ。
そのニセガイド氏に「あんたのことは日本のガイドブックに書いてあるよ」と日本語でブツブツ言ってやった。
そして、ガイドブックのご指示のとおり、無視して門の中へと進んだ。

中は、白い漆喰の壁に一部青く塗っている壁が静かに続いている。
土地の老人がひとりで杖を頼りにゆっくりと散歩している姿がここに似合う。
メインストリートに戻ると人が流れている。彼らについて行くと、
突然視界が開けて海が見えた。
そして、崩れかけた砦の階段を下ると海水浴場があった。
イスラムでは女性は人前で肌を見せないはずだが、ここでは見事に海水浴場が広がっている。

ツーリストとみるとやたら声をかけてくる売り子もいまいましいガキたちもいないモロッコも不思議と言えば不思議だが、落ち着いて歩ける。
土地の若いグループが、はにかみながらカメラのシャッターを押してくれと言って声をかけてきた。
平和だ。
本当に普通の空気が満ちている。
ラバト市街の西にハッサンの塔がある。44メートルのどっしりしたミナレットだ。
本来は88メートルの高さになる予定だったらしい。
12世紀のベルベル人による王朝時代のもの。
カサブランカのハッサン2世モスクは200メートルの高さだからそれには遠く及ばないが見事なムーア様式の塔だ。

同じ敷地内の反対側にはムハンマド5世の霊廟が立つ。
フランスからモロッコを独立させた国王だ。
ツーリストばかりでなく、多くのモロッコ人が目立つ。

カサブランカには失望したが、ここラバトは、がさがさしたところがない。
マラケシュや砂漠地方の雰囲気とも大きく違い、落ちついたゆとりも感じさせた。
モロッコは本当に町によって色々な表情を見せた。
自然も歴史も、そして民族的にも複雑な様相をみせている国だからなのか。
思い切ってラバトまで日帰り旅行に来て、これは正解だった。
規模の小さいメディナを抜ける。
カサブランカのメディナも小振りだったが、やたら、店の売り子が声をかけてきた。
見たくてもうっとしい感が先に立って、残念ながら素通りばっかだった。
それに引き替えここは生活感がある。
我々に石鹸が切れていたことを思い出させた。
小さな店で小さな石鹸を2ヶ買った。
そんな事が普通に出来ることがけっこううれしい。
メディナを通り抜けると目の前は墓地。ズーと見渡す限り海岸まで墓地が続いている。
その向こうに大西洋が青く広がっていた。

そこから10分、カスバを囲む城壁のウダイヤ門にたどり着いた。
うさん臭いおやっさんが出てきて
「博物館は、今の時間はやってない。もっと良いところへ案内してやる」
と言い寄って来た。
あるガイドブックにこの門あたりにニセガイドがいると書いてあった。
その通りにニセガイドが出てくるなんて、そのガイドブックも大したものだ。
そのニセガイド氏に「あんたのことは日本のガイドブックに書いてあるよ」と日本語でブツブツ言ってやった。
そして、ガイドブックのご指示のとおり、無視して門の中へと進んだ。

中は、白い漆喰の壁に一部青く塗っている壁が静かに続いている。
土地の老人がひとりで杖を頼りにゆっくりと散歩している姿がここに似合う。
メインストリートに戻ると人が流れている。彼らについて行くと、
突然視界が開けて海が見えた。
そして、崩れかけた砦の階段を下ると海水浴場があった。
イスラムでは女性は人前で肌を見せないはずだが、ここでは見事に海水浴場が広がっている。

ツーリストとみるとやたら声をかけてくる売り子もいまいましいガキたちもいないモロッコも不思議と言えば不思議だが、落ち着いて歩ける。
土地の若いグループが、はにかみながらカメラのシャッターを押してくれと言って声をかけてきた。
平和だ。
本当に普通の空気が満ちている。
ラバト市街の西にハッサンの塔がある。44メートルのどっしりしたミナレットだ。
本来は88メートルの高さになる予定だったらしい。
12世紀のベルベル人による王朝時代のもの。
カサブランカのハッサン2世モスクは200メートルの高さだからそれには遠く及ばないが見事なムーア様式の塔だ。

同じ敷地内の反対側にはムハンマド5世の霊廟が立つ。
フランスからモロッコを独立させた国王だ。
ツーリストばかりでなく、多くのモロッコ人が目立つ。

カサブランカには失望したが、ここラバトは、がさがさしたところがない。
マラケシュや砂漠地方の雰囲気とも大きく違い、落ちついたゆとりも感じさせた。
モロッコは本当に町によって色々な表情を見せた。
自然も歴史も、そして民族的にも複雑な様相をみせている国だからなのか。
思い切ってラバトまで日帰り旅行に来て、これは正解だった。
ラバトへ遠足 その1
ラバトへ遠足に出かけた。
カサ・ポール駅から列車で1時間。わりと近い。

ラバト・ヴィル駅に降り立っての第一印象は、やっぱり首都だけのことはある。それなりの落ち着きを感じる。
地図をたよりにまずルワーの門へ。
この門はムワッヒド朝の塁壁の中でも昔のままを姿を残しているという。なかなか立派だ。

次は何と言ってもやっぱり王様だ、王宮だ。
現国王ムハンマド6世とその家族が住んでいる。城壁に囲まれた広大な敷地は別世界。
木々、草花の一本一本まで手入れされている。
この敷地には王様だけでなく国の省庁等もある。
王宮の前には衛兵がしっかり見張り番。入口にもあまり近寄れない。
でも今日は王様は不在だよ、と衛兵さんが教えてくれた。

昼食はやはりモダンなレストラン。ここでも伝統的なタジンやクスクスは見当たらない。

カサ・ポール駅から列車で1時間。わりと近い。

ラバト・ヴィル駅に降り立っての第一印象は、やっぱり首都だけのことはある。それなりの落ち着きを感じる。
地図をたよりにまずルワーの門へ。
この門はムワッヒド朝の塁壁の中でも昔のままを姿を残しているという。なかなか立派だ。

次は何と言ってもやっぱり王様だ、王宮だ。
現国王ムハンマド6世とその家族が住んでいる。城壁に囲まれた広大な敷地は別世界。
木々、草花の一本一本まで手入れされている。
この敷地には王様だけでなく国の省庁等もある。
王宮の前には衛兵がしっかり見張り番。入口にもあまり近寄れない。
でも今日は王様は不在だよ、と衛兵さんが教えてくれた。

昼食はやはりモダンなレストラン。ここでも伝統的なタジンやクスクスは見当たらない。

カサブランカぶらぶら
カサブランカは期待はずれの雑然とした大都会だと文句を言っていても始まらない。
早速町歩きに出かける。
大都会とは言え、ここはモロッコ。やっぱり旧メディナ地区はある。
でもマラケシュや地方の町々を旅してきた我々には「何だかなぁ〜」という感じで、つるっと歩いて終わり。

ハイアット・リージェンシーの中にバー・カサブランカがありボギーに扮したバーテンがいるとの情報を確かめに行ってみた。
ホテルはやりすぎなほど豪華。ホテル内 くまなく探索したがそれらしいものは見つからなかった。

カサブランカ唯一の観光名所はやはりハッサン2世モスクだ。
一点豪華主義。圧倒的にでかい。
巨大な建物は大理石、素晴らしいモロッコ絨毯、精細なマホガニーの彫りもので細部に至るまで全部手作り。
これでもかというほどお金をかけている。
このモスクの為に徴収される高い税金が国民の負担になっていると聞いたが、なるほどうなずける。
拝観料も120DHと桁違いに高い。(ただし、モロッコ人は30DH)


食事も今まであんなにうんざりしていた、タジンもクスクスもない。
町を歩き回っても欧米風のレストランばかりが目に付く。
ないとなると食べたくなって、探し回ったが、あきらめてイタリアン風のレストランでピザを食べたが、これがなかなか美味しかった。

ラバトへ遠足、へ
早速町歩きに出かける。
大都会とは言え、ここはモロッコ。やっぱり旧メディナ地区はある。
でもマラケシュや地方の町々を旅してきた我々には「何だかなぁ〜」という感じで、つるっと歩いて終わり。

ハイアット・リージェンシーの中にバー・カサブランカがありボギーに扮したバーテンがいるとの情報を確かめに行ってみた。
ホテルはやりすぎなほど豪華。ホテル内 くまなく探索したがそれらしいものは見つからなかった。

カサブランカ唯一の観光名所はやはりハッサン2世モスクだ。
一点豪華主義。圧倒的にでかい。
巨大な建物は大理石、素晴らしいモロッコ絨毯、精細なマホガニーの彫りもので細部に至るまで全部手作り。
これでもかというほどお金をかけている。
このモスクの為に徴収される高い税金が国民の負担になっていると聞いたが、なるほどうなずける。
拝観料も120DHと桁違いに高い。(ただし、モロッコ人は30DH)


食事も今まであんなにうんざりしていた、タジンもクスクスもない。
町を歩き回っても欧米風のレストランばかりが目に付く。
ないとなると食べたくなって、探し回ったが、あきらめてイタリアン風のレストランでピザを食べたが、これがなかなか美味しかった。

ラバトへ遠足、へ
タルーダントからカサブランカへ 7月3日
ニコニコ親切タルーダントでなごみの日々を送っているうちに、あのマラケシュの喧噪や圧倒的なサハラ砂漠が妙に懐かしくなった。
「そうだ!ここはモロッコだったんだ!」
そろそろ潮時、この町ともお別れだな。
例によってCTMバスでカサブランカへ移動だ。

夜通し突っ走り、早朝到着。
カサブランカのCTMバスターミナルには、早朝からカフェが開いていた。
ここでドッコイショと一休み。やっぱり移動のバスはCTMに限る。
もう絶対民営バスなんかに乗らない。

このカサブランカはあきれるほどの大都会だった。
あのボギーの哀愁のカサブランカの片鱗もない。
車のクラクション音と人々と薄汚れたビルがひしめく、雑然とした都会だった。
それに今までどこにでもいたあのロバが全く見当たらない。
よく邪魔されたりしていたのに、いないとなればそれはそれで物足りない。
それとモスクからの礼拝を促す大音響も聞こえない。
まるで別の国に来てしまったような感覚だ。
モロッコという国は、町ごとに表情をドンドン変えていく。
カサブランカぶらぶら、へ
「そうだ!ここはモロッコだったんだ!」
そろそろ潮時、この町ともお別れだな。
例によってCTMバスでカサブランカへ移動だ。

夜通し突っ走り、早朝到着。
カサブランカのCTMバスターミナルには、早朝からカフェが開いていた。
ここでドッコイショと一休み。やっぱり移動のバスはCTMに限る。
もう絶対民営バスなんかに乗らない。

このカサブランカはあきれるほどの大都会だった。
あのボギーの哀愁のカサブランカの片鱗もない。
車のクラクション音と人々と薄汚れたビルがひしめく、雑然とした都会だった。
それに今までどこにでもいたあのロバが全く見当たらない。
よく邪魔されたりしていたのに、いないとなればそれはそれで物足りない。
それとモスクからの礼拝を促す大音響も聞こえない。
まるで別の国に来てしまったような感覚だ。
モロッコという国は、町ごとに表情をドンドン変えていく。
カサブランカぶらぶら、へ
タルーダント 闇夜のなにやらセレモニー
夕刻、ある民家から賑やかな音楽が聞こえてきた。
塀のすきまから覗くと、
裸電球だけの薄暗い中庭で
大勢の人が何やら太鼓を叩きラッパを吹き踊っている。
宗教儀式か?秘密結社のお祭りか?それにしては、賑やかだ。
しわくちゃな小柄の老人が、我々を招き入れた。
「中へ入れ、奥へ、奥へ。」
取って喰われるかとおどおどしていると、背中を押して半ば強引に引きずり込まれた。
中庭は人の熱気と太鼓のリズムで異様な雰囲気だ。
普段なら危険を感じて逃げ出すところだがここはタルーダントだ。
ままよ、と覚悟を決めた。
「ここに座れ、我々の伝統だ。ゆっくり見ていけ。」
人混みの中に仲良くなった例の靴磨きの少年も居た。
彼も我々に気付き、ほほえんできた。
なんの保証にもならないが、それでもちょっとはホッとした。
伝統的なセレモニーだというが、それ以上は分からない。
ともかく狭い中庭に男ばっかりが何十人も輪になって座り込んでいる。

その真ん中で5,6人が踊っている。
脇には大小の太鼓をならし、ラッパを吹き鳴らしている一団がいた。
比較的単調なリズムだが、力強く続く繰り返していく。
煙が立ち、なにやら香りも漂ってきた。
空中浮揚をうながすようなこの香りは覚えがある。
ハッシシュだ。
その煙が充満する中で、30分も経っただろうか。
輪の真ん中で踊っている老人が激しさを増して、乱舞しはじめた。
明らかにトランス状態に陥っている。
その老人は、極限までの体を震わせたかと思うと突然に地面に倒れた。
太鼓もラッパもそれが合図だったかのように静かになった。
セレモニーは突然にフィナーレを迎えたようだ。
静かな中でボーとしていたら、
近くのモスクから礼拝を促す大音響が聞こえて来て、
現実世界に我々も引き戻された。
結局何だか良く分からなかったが、ともかく別世界体験だった。
始めに中に引き入れた老人が声をかけてきた。
「どうだ。すごいだろう。よく参加してくれた」と声をかけて来た。
通りすがりの異教の人を伝統的なセレモニーに引き入れたここの人は、
不思議なほど優しく懐の深い人々でもあるようだ。
タルーダントからカサブランカ、へ
塀のすきまから覗くと、
裸電球だけの薄暗い中庭で
大勢の人が何やら太鼓を叩きラッパを吹き踊っている。
宗教儀式か?秘密結社のお祭りか?それにしては、賑やかだ。
しわくちゃな小柄の老人が、我々を招き入れた。
「中へ入れ、奥へ、奥へ。」
取って喰われるかとおどおどしていると、背中を押して半ば強引に引きずり込まれた。
中庭は人の熱気と太鼓のリズムで異様な雰囲気だ。
普段なら危険を感じて逃げ出すところだがここはタルーダントだ。
ままよ、と覚悟を決めた。
「ここに座れ、我々の伝統だ。ゆっくり見ていけ。」
人混みの中に仲良くなった例の靴磨きの少年も居た。
彼も我々に気付き、ほほえんできた。
なんの保証にもならないが、それでもちょっとはホッとした。
伝統的なセレモニーだというが、それ以上は分からない。
ともかく狭い中庭に男ばっかりが何十人も輪になって座り込んでいる。

その真ん中で5,6人が踊っている。
脇には大小の太鼓をならし、ラッパを吹き鳴らしている一団がいた。
比較的単調なリズムだが、力強く続く繰り返していく。
煙が立ち、なにやら香りも漂ってきた。
空中浮揚をうながすようなこの香りは覚えがある。
ハッシシュだ。
その煙が充満する中で、30分も経っただろうか。
輪の真ん中で踊っている老人が激しさを増して、乱舞しはじめた。
明らかにトランス状態に陥っている。
その老人は、極限までの体を震わせたかと思うと突然に地面に倒れた。
太鼓もラッパもそれが合図だったかのように静かになった。
セレモニーは突然にフィナーレを迎えたようだ。
静かな中でボーとしていたら、
近くのモスクから礼拝を促す大音響が聞こえて来て、
現実世界に我々も引き戻された。
結局何だか良く分からなかったが、ともかく別世界体験だった。
始めに中に引き入れた老人が声をかけてきた。
「どうだ。すごいだろう。よく参加してくれた」と声をかけて来た。
通りすがりの異教の人を伝統的なセレモニーに引き入れたここの人は、
不思議なほど優しく懐の深い人々でもあるようだ。
タルーダントからカサブランカ、へ
